習慣


 やはり人間習慣というものはあるものです。毎朝仕事へ行く準備が整ったらお茶を飲みます。子供の頃からは大のコーヒー党だったのですが、すっかり嗜好が変わってお茶が安心しますね。今でもコーヒーには五月蝿いですがw
 狭山茶の発祥の地は、狭山でなく地元川越にある天台宗別格本山の中院です。河越茶から狭山茶になったそうな。「色は静岡、香りは宇治、そして味は狭山」と言われ、深みのある味わいが特徴。
 中院は、元は星野山無量寿寺仏地院といい、天長6年(829)最澄の弟子の円仁が創建。天慶4年(941)に至り、平将門の乱に遭い寺運は衰え、その後元久の乱で全くの灰燼に帰すことになりました。
 永仁4年(1296)秋、武蔵国足立郡原市の産まれである尊海僧正は、成田氏の助力により仏地院を再建しました。天台の顕教法華経)、密教真言秘密)の教えを広め、関東天台の教寺580余ヶ寺すべて仙波の仏地院に付属し、法灯盛んにして法輪の余慶は遂に天朝に達し、関東天台の本山の勅許を得ました。仏蔵院(北院=現喜多院)、多聞院(南院)を建立します。また日蓮はここで、尊海和尚より恵心流の伝法灌頂を受けました。
 喜多院天海大僧正の台頭により、中心はそちらに移り、三大東照宮仙波東照宮造営に伴い現在の地に移りました。中院に島崎藤村の義母・加藤みき婦人の墓があり、たびたび藤村もここを訪れました。 生前みき婦人が茶道の師匠として「不染」と号したことから、「不染亭」と名付けられた茶室が移築されました。
 観光地化されている喜多院と異なり落ち着きがあり、まるで京都の寺院のようです。桜の季節になると地元では喜多院が花見のメッカになりますが、中院のしだれ桜は趣があって良いですね。