組織と指示

  • 沖縄戦集団自決 教科書会社1社が訂正申請

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071101/edc0711011658006-n1.htm 


 この手の話題は、イデオロギー論争になったり、沖縄戦を語れるほどの知識も持ってません。ですから、明言を避けていました。今回も東京裁判否定論のように、一点突破で行きます!
 沖縄戦において「兵士」が民間人に、集団自決を強制をさせたことも悲惨な事実のようです。この問題の本質は、その兵士が「軍という組織人として」強制したのか?それとも「個人の判断にて」強制をしたか?ということです。このことを念頭に入れて置いて下さい。
 軍隊というのは、階級社会です。上位の階級が命令したら、下位の階級には絶対服従が原則です。(軍令違反や国際法違反などは別だと思いますが・・・)
 

 現代日本では、警察がその典型です。映画化もされましたが、「踊る大捜査線」の警察の現場をコミカルに描いたドラマがありますね。そこでは警視庁を「本店」所轄署を「支店」と揶揄しています。何か捜査本部を置くような大きな事件の場合、警視庁から階級が高い人員が登場し捜査を主導して、所轄署はお手伝いすることになります。織田裕二さんが演じる青島刑事は、現場を一番知っているはずの所轄署の刑事が活躍させてくれないことを憤ります。
 主に警視庁から来て捜査本部の総指揮を取るのは、柳葉敏郎さんが演じる警察キャリア官僚で警視。その下が警部でこれ以上の階級なら、裁判所に逮捕状を請求できてそれをもって被疑者を逮捕できます(通常逮捕)。
 その他にも刑事訴訟法第210条による緊急逮捕があります。これは一定以上の罪状で罪に値する充分な理由があり、逃亡のおそれがある場合逮捕状の発行が間に合わない時に行われます。当然のように裁判所の事後承諾が必要ですが・・・それと現行犯逮捕がありますね。これは、警察官だけでなく一般の方でも可能です。話が逸れましたが、警部の下に警部補、青島刑事の階級である巡査部長があります。3段階も異なるので、全く待遇が違います。
 これまで警察が階級社会かと言うと、治安を司る重要な機関なので、それを円滑に運営するために指示系統をしっかりと成立させる為です。青島刑事は警察社会に疑問を持っていますが、階級制度そのものを壊そうとする暴挙はしてません。階級が上がれば自分ができる裁量が増えます。同時に責務も増します。いかりや長介さんが演じる和久刑事が言った「正しい事をしたければ、偉くなれ」は言いえて妙な台詞です。


 特にこのようなことは、別に珍しいことではありません。社会に出れば会社という組織に入り、組織の上下関係に食い込まれることになります。部長の下に課長。課長の下に係長。係長の下に主任などの役職があります。社長が時には株主総会や役員会の承認などを受けて、社内を取り仕切ります。そして下部に担当役員や本部、部、課などと枝分かれています。それぞれ部長なら部を、課長なら課を纏めています。その所属の社員たちは、彼らの指示を受けることになります。
 それを覆すことは、通常ありません。社会人ならよくお解りになると思います。まぁ、抜け道があるわけで指示を受けた上司より、上に指示を仰ぐことです。これはこれで色々と禍根を残しますが、あくまでも非常手段ということで・・・だからといって全てを指示通りというわけではありません。部下は部下で職務を臨機応変に対応できるように、裁量があります。大まかな指示を受け、個人が対応する。反対に休暇届や企画書は、下から上に承認を受ける形になっています。これらは、どこの企業でも大体同じかと思います。


 それを踏まえて話を沖縄に戻します。軍隊は組織の一形態の1つです。特に指示系統がはっきりしていると言いました。大きな作戦、悪名高きインパール作戦戦艦大和の特攻なども文書として発行されています。通常作戦が正確に執行されるために、口頭だけでなく文書として残して置きます。軍として単独に行動できる最小の単位の師団(師団長少将)やその下の連隊(隊長大佐)ならかなり命令が文書に残っています。さすがに中隊長(中尉)や小隊長(少尉)あたりになると文書としてより、現場の最前線ですから口頭が多くなります。
 リンク先に軍の「強制性」と書かれています。つまり「強制」の証拠つまりどこの軍が文書にて、民間人を集団自決させよというものはまだ発見されていないことになります。証拠がないから「強制性」という曖昧な表現になっているのです。
 全く同じことが約10年前にありました。いわゆる「従軍慰安婦問題」です。最初「強制」といっていたのですが、証拠がなくて「強制性」と表現にトーンダウンしました。
 証拠がないなら軍司令官、師団長が命令にて集団自決をさせていなく、現場の兵士の独断で実行したものと推定できます。これでは、「軍」には責任がなかったことに他なりません。勿論乱戦で民間人が巻き沿いになるぐらいですから、現場は非常に混乱して、指揮系統が混乱していたことでしょう。だからこそ「軍」が「関与」していない証拠でもあります。「軍」が正式な命令をしていない以上「軍」として責任はありません。しかしそれらを起こした「軍」は集団自決を強制した兵士への「監督責任」という道義的責任はあります。本来ならこれらの兵士は、軍規か軍令違反として軍法会議にて処罰されます。
 例えばどこかの会社として指示していないのに、得意先周りの途中酒気帯び運転で事故を起こして人を殺したとします。轢いた社員は罪は問われますが、会社としては罪は問われません(行政処分などはあるかもしれません)。会社としては、そんな社員を雇って監督不行届として、解雇なりの処分をして社会に謝罪することでしょう。それと同じようなものです。


 それでも沖縄戦にて悲惨な地上戦が起こり、それに民間人が巻き込まれ、ある兵士に集団自決を強制された事実は変わりありません。不幸な出来事として後世に残しておくべきであり、それを歴史教科書に書くことも必要だと考えています。但し「軍の関与」はおろか「軍の関与性」などと曖昧な表現を書くことには、断固として反対いたします。