なぜ?ローマだけが・・・

 『ローマ人の物語』全15巻読破中。ただいま2巻の『ハンニバル戦争』読了。第2次ポエニ戦、俗にいうハンニバル戦争は燃えますね。動員兵力75万のローマの中枢イタリア本国に、ほとんど本国のカタルゴの支援もなく15年以上孤軍で荒らしまくるハンニバル率いる兵力は僅か5万!ハンニバルにどうしても勝てないローマ軍。決戦でカンネの戦いを挑みましたが、大軍がほとんど全滅。
 ハンニバルに勝てないと開き直り持久戦略で、ハンニバルの兵力を徐々に削っていく方針に変えたローマ。ハンニバルが来れば、決戦は挑まずに付かれず離れずマークして嫌がらせをするローマ軍。
 一躍対ハンニバルの統合参謀本部になった元老院は的確な戦略を練り発言力は増すばかり。また個性ある将軍を輩出。総力戦でローマ連合はハンニバル1人相手に15年以上戦いました。それに伴い首相に当たる執政官経験者の戦死が10人以上に・・・ハンニバルつえーーーでも戦略目標のローマ連合の離反はならず。彼の戦術を学んだ「弟子」のスキピオ・アフリカヌスがハンニバルのお株を奪うカタルゴ本国に進出。あせったカタルゴ政府は、ハンニバルを召集され、そこでザマの戦いで敗れ彼の野望は潰えました。


 それにしても15年以上も兵士の兵糧を賄ったとか、兵士の不満を聞かないのは世界の大きな謎の一つです。カンネの戦いでローマ軍に完勝したのに、なぜローマ連合を構成する諸都市は、ハンニバルに付かなかったのか?強いものに付くのが世界の慣わし。ローマ軍に参加しているといえローマから離れるチャンスは充分あった。それなのに裏切ったのは僅か1つの都市のみ。おそらく諸都市から見ればハンニバルが強いが、ローマ連合に居る方がメリットがあったからこのような結果になったのでしょう・・・
 だったらそのメリットとは?ローマの価値が高くなるのは、ハンニバル戦争が終わって地中海世界の主役になってから・・・なら何が諸都市を離反を抑えられたのか?今までの敗者も勝者の陣営に取り込む寛容さが大きいのかな?例えば大英帝国の議院に、植民地のインドやカナダやオーストラリアの有力者が議員となり、果ては閣僚や首相になるようなものです。このような開放的なローマに諸都市が魅力を感じ、またローマ軍とローマ連合自身の地力で結局は勝てると見ていたのでしょうか?
 なにはともわれ世界史的に各国の士官学校の教科書に乗るぐらい歴史的勝利を、カンネで飾ったのに関わらず肝心のローマ連合崩壊に導くことができなかったハンニバル。戦術で勝っても戦略では勝てなかった。逆にスキピオはザマの戦いの戦術的勝利をカタルゴの地中海世界の覇権を奪取する戦略的勝利も収めました。歴史的な戦術家が戦略単位では、何の成果を得らずに自国を傾けることになることは、歴史の皮肉でしょうか?