駄目なものは駄目

 私は、法科出身です。大学の法学部に行けば、必ず最初に憲法、刑法、民法法律学を学ぶことになります。刑法では、三原則というものがあります。構成要件該当性、違法性阻却事由、責任能力のことです。
 構成要件該当性は、その行為が条文に該当するかどうかです。勿論条文に書いてなければ刑事責任を問われません。昔他人の電気を盗む事件が起きました。でもその頃は電気は、刑法上「物」に該当せず無罪にせざるえませんでした。今は、改正されて電気も「物」として扱われ、もし盗めば窃盗罪として立件されます。
 違法性阻却事由とは、通常は法律上違法とされる行為について、ある理由により違法性がないとされて無罪となるものです。正当防衛と緊急避難がこれにあたります。正当防衛とは、ある違法行為から自分または他人を救済するときに、違法とされる行為をしても必要悪として容認されているものです。例えば、殺されそうになっているので、相手を殺してしまった、傷を負わせてしまった。そんな時は、無罪にまたは減罪になります。ただし相手より罪が大きいもの、傷害を負わされるところをやり過ぎて殺してしまったなどは過剰防衛として扱われ刑事上の責任を負わされることもあります。他に他人が自分を狙っているとして誤解して行うことを誤想防衛。誤解した上過剰にやってしまえば誤想過剰防衛になります。
 緊急避難は、刑法37条に書かれているものです。自分が助かるために、やむえず他人の権利を侵害するものです。俗に「カルネアデスの板」といわれるものです。映画「タイタニック」のように遭難してやっと板切れに掴まってどうにか助かった。その時、もう1人その板に掴まろうとした。もしその板に浮力を失い掴まれば自分も沈んでしまう。その人は、相手をはねのけ板に掴ませなかった。その後その人が生き残り裁判になりましたが、自分の命を救う為にやむ得ない好意として無罪になりました。正当防衛は正対悪に対し、緊急避難は正対性。どちらも正当な行為をしているので、正当防衛よりも厳しく審査されます。
 責任能力は、事件を起こした時に正常な判断能力を有していたかどうかです。まだ幼い子供、何かの事情で罪の意識がないものは、無罪または減罪になります。


 これを総括して罪刑法定主義と言います。あらかじめ法律として制定して明確な内容でそれに対する刑罰を制定しているもの事案に限り、刑事裁判を行うことができます。つまり、法律に書かれていなければ何をやってもいいのです。また事後法で裁判を行うことは、堅く厳禁されています。法の不遡及というものです。ただ例外として、刑罰が軽減されれば被告に有利になるので許されています。
 刑事裁判は、「疑わしきは、罰せず」が原則です。明確な証拠がない限り被告の人権を守るために無罪になります。また証人には、証言に責任を持たせる為に、虚偽の証言を言えば偽証罪として罰せられます。裁判物のドラマで、証人が宣誓している場面をよく見ると思いますが、あれがそうです。
 あと国際法があります。これは国家間で結ばれた条約、国際慣習、法の一般原則に成り立っています。これが作られた経緯は、欧州は戦争を文字通りしょっちゅうやっていました。これで何でもありにすると共倒れになるので、戦争にもルールを作ろうとしたのが理由です。グローティウスの『自由海論』、ウェストファリア条約を経て国家間の紛争、通商および外交関係を規律する法として成立、発展していった。主に外交関連なら駐在大使館等は治外法権で、外交官は身体の不可侵(拘束されないこと)や裁判権からの免除などの特権(外交官特権)を持つなど。戦争なら戦闘服を来た同士が行い、もし着ていなけば戦闘員としての権利は剥奪されます。あと捕虜の扱いや中立国の義務などが書いています。

ここまでを踏まえて、法律的な事前知識を知らせておきます。


 私は極東国際軍事裁判東京裁判)完全否定論者です。政治的には、あの時点ではスケープゴートが必要だったかもしれません。でも国家間の争いで国際的に、個人を裁くなど前代未聞です。国家行為を個人に負わせるなど愚の骨頂。そんなことをすれば失敗をするのを恐れ尻込みして、誰も政治をやりたくなります。それに国際的に裁くのはまだ許容できますが、手法が強引過ぎます。アメリカたち戦勝国として悪しき前例を作ってしまいました。もし勝ち続ければ良いですが、一回負ければ同じように裁かれることになります。つまり自分で自分の首を絞めてしまったことです。


 私の理由から箇条書きで

  • 国際裁判なのに裁判官は、戦勝国とその旧植民地のみで構成されています。敗戦国の日独は、もちろん中立国すら入っていません。これは、裁判の公平性を著しく阻害しています
  • 証人は、偽証罪が課せられてなく言ったもん勝ち。真偽もあまり検討されいません。あまりにも被告に不利です。
  • A級戦犯が「平和に対する罪」で裁かれましたが、そのような罪状はありませんでした。つまり後で作られたもので事後法です。刑事裁判の原則を著しく逸脱しています。
  • これに関連して、「平和に対する罪」が侵略戦争として、戦勝国のみが裁くのはおかしい。それを国家でなく個人の責任に帰するなど常軌を逸してます。通常講和条約の際に国家が賠償するもので、裁判にして裁くこと自体がおかしい。
  • 日本では裁かれずドイツのニュルンベルク裁判で裁かれた「人道に対する罪」も事後法ですが、国際法や一般常識でどうにかねじ込めることは可能です。ただ非戦闘員の殺人行為は国際法で禁止されています。東京大空襲など無差別な空襲やアメリカの広島、長崎の原爆投下は、明らかに非戦闘員の殺人行為に該当します。南京事件を裁いといて、それを裁かないのは、公平性を著しく脱する。
  • 裁判官の資質について、裁判官の資格を持たないものや法廷の公用語(日本語と英語)を使用できなかったことなどから疑問が残る。
  • B、C級戦犯は、「私は貝になりたい」のように捕虜虐待などが主です。これは国際法で禁止されています。それをわざわざ国際法廷で裁く必要は全くありません。その為に自国に軍事裁判所があるのですから、そこで裁けばいいだけの話。自国の兵をそんな理由で国際法廷で裁くなど常軌を逸してます。
  • B、C級戦犯は、ろくな証拠を提示されず、証言だけとか裁判としてはお粗末過ぎます
  • アーロン収容所など同じように日本兵捕虜の虐待があります。ですが、B、C級戦犯のように裁かれませんでした。これは公平ではありません


 このように、裁判に正当性が疑問視され、ぶっちゃけ戦勝国の戦敗国に対するリンチ裁判なのでしょう。これを法科出身者私には賛同するわけにはにきません。戦犯を祀っている靖国神社の参拝も全く問題ないですね。政治的には知りませんがw