「歴史」を学ぶ意義 「歴史」に学ぶ意味

 20年来歴史が好きなのですが、何故かと聞かれればただ面白いからしか言えません。歴史の英語は、「History」ですが語源は「His Story」。彼らの物語。真実は小説より奇なり。実際起きたドラマの方が、フィクションの物語よりも数段楽しい。あと臨床心理学や好きだから、人間に対する興味が非常に強いのでしょうね。

 世間一般では「立派な大人」と思われているような人が、「私は歴史が苦手で」というのを何度聞いたことでしょう。まあ、これは無味乾燥で、歴史の面白さをちっとも教えてくれない日本の歴史教育に責任の一端があるわけですが、あえて私はこう答えることにしています。
 「失礼ですが、そういうことはおっしゃらないほうがよろしいのではないでしょうか。」
 すると、たいていの人はポカンと口を開けます。そこで私はさらに言葉を続ける。
 「なぜなら、歴史って人間です。だから、『歴史が苦手』なんて言うと、『人間が苦手なんだ』と告白していることになりますよ。」
 どんな人間であろうと、自分の一生の中で経験できることなど、ごく限らています。たとえ政治家になって大きな権力を握ろうと、その人のは芸術家として人生は体験できない。努力に努力を重ねて世界的な大企業のトップの登りつめても、そこで経験できることだってタカが知れている。
 だからこそ、私たちは映画を観たり、本を読んだり、あるいはテレビを見たりする。そこには、自分が体験できない人生が語られているからです。
 私にとって歴史とは、人類がこれまで経験した全てのことが入っている。そんな歴史が面白くないはずがない。私はそう思います。
『痛快!ローマ学』(塩野七生


 「愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ。」こんな名言がありますが、自分が「賢者」とは思いません。しかし、歴史をやっていると同じような類型を、見出すことが多々ある。それに対する結果を知っているから、自然に予想が付きそれがその通りになる。進歩史観がありますが、私は、そのような考えに賛同できません。「歴史を繰り返す」所行がどれだけあるか・・・とても人間が成長しているとは、とても思えません。人間は古来から本質的なことは全く変わらない。だからこそ昔の経験が役立つということになる。
 それが歴史を学ぶ意味は、非常にある。少なくとも政治家や企業の経営者は、歴史を学んでおかなければ同じような失敗を犯すことになります。彼らは、人生の成功者です。成功者だからこそ、自分の経験を絶対視することが多々ある。だが、そんな経験など社会から見れば、あまりにも小さすぎる。社会の急速な変化に、自分の経験をより所にして経営をしようとする。それでも自分を客観視する目を持つ人間なら、社会の流れに対応で対処できるでしょう。そんな天才的な人間は、ほんの一握り。大体は社会に振り回されることになります。そして大半が社会に対応できなくて、大失敗を犯すことになる。

 
 現在は、過去の積み重ねで延長線上に存在する。未来も同じ。過去を知らなければ現在も知ることもできない。現在を知らなければ、未来を予想することなど不可能。


 徳川家康は狸親父と言われ世間的に評判が悪いですが、非常な努力家です。先の織田信長豊臣秀吉が天才型の武将に比べ、彼は武田信玄のような秀才肌の人間です。あまりにも秀才すぎるので、ある意味天才と言えます。彼は、吾妻鏡を愛読し、なぜ室町幕府が不安定なのか分析しました。歴史を学びそこから教訓を学び取りました。
 また、経験も非常に重要視しました。敵の筈だった信玄から学び、信長や秀吉から学び、何を始めるのも必ず師匠についてオーソドックスに学んでいきました。また、一度失敗したことを二度としませんでした。
 評判が悪い家康による豊臣家の天下を乗っ取りましたが、同じことを秀吉自体が行っています。また、家康は秀吉に臣従しましたが、譜代の家臣ではありません。また、恩すらありません。反対に先祖伝来の三河から、縁もゆかりもない関東に移封させられました。そんな仕打ちをした秀吉から、天下を取っても文句が無いでしょう?
 非常に皮肉なことに彼が行った豊臣家から天下を乗っ取った手法は、秀吉が織田家を乗っ取った手法を参考にしました。つまり秀吉自身が、家康に天下取りの方法を教えたものです。家康の方が秀吉よりも状況は不利でしたが、彼は今までの全てを駆使して成功を収めました。
 よく家康を豊臣家を滅ぼしたことを非難してますが、豊臣家が時代錯誤で自分が置かれた状況を判断できませんでした。徳川家に臣従していれば、あるいは織田家のように存続できたかもしれません。反対勢力に担がれる恐れがあるので、是が非でも滅亡に追い込んだかもしれません。これはイフの世界ですから、神のみぞ知る。少なくとも豊臣家が自身を存続させる意志がなかったのが、大きな原因です。これに関しては、豊臣家の責任で家康には責任がありません。家康は後半にかなり強引なことをしていますが、彼の年齢を鑑みれば仕方がありません。
 豊臣家からの天下乗っ取りも、秀吉自身が同様なことをしているのでどっちもどっち。家康を責めるのなら、同様に秀吉も責めないと道理に合いません。秀吉も信長の子供や側室を殺しているのですから、家康と同じです。ただ家康と異なり織田家を存続させましたが、織田家に秀吉に臣従する意志があったからです。


 このように実例を書けば分かりやすいですが、歴史を学ぶ意味は非常に大きく自分の糧にすることになります。歴史を知らないとということは、とても強力なハンデを背負うことになります。歴史は楽しいし、為になる。それが世間的に定着してないのが非常に残念ですね。