alea jacta est!

われわれの生まれてきた世界は、


無慈悲で残酷である。


そして同時に、


神聖な美しさをもっている。

 

 ここ数週間ずっと悩み続ける。自分の生まれた意味、本来為すべきこととは?自分探しなどは必要ない。自分は自分であり自分でしかない。ただそれだけだ。自分が世の中からずれているその孤独感。俺は非常に独創的な人間だ。世の中個性的、独創的な方がいいという風潮があるが何も解っていない。独創的というのは、「世界」とは違うから独創的である。つまり「世界」を敵に回すほどの気概と孤独感に耐える心が必要だ。「個性的」な人間が、往々にして没個性に陥る例がある。ただ自分が他人と異なる思い徒党を組むだけ・・・普通がどれほど貴重で大切なものか解っていない。今まで世の中に合わせてきて、それができるほどの現状認識力や判断力はある。それは本来の自分を隠すための「世界」に対するペルソナ、仮面であり、それが剥がれかけている。ある人に言われました。「大体の人は物事を浅い所で考えている。あなたは違う周りに流されずに物事の本質を観察し分析して、それを他人より遥かに深い所で考えている。貴方が物事を発すると浅い考えの人間はどうしてそんなことを考えるの?と驚かせる。」今まで「世界」と「自分」を騙し騙し生きてきた。それも限界だと悟る。もうこれ以上「世界」と妥協できない予感がする。「自分」を出しつつ「世界」と折り合いを付けないいけないだろう。この命題が自分にとって人生最大の命題である。失敗すれば最悪死もありうる。だから対決から避けようとしていた。安全な道を歩もうと子供の頃から思い続けていた。そんな予感を感じていたので・・・子供の頃母にふと漏らしたことがある。「多分僕は他人のように普通の人生を送ることはできないよ」と「普通の道」を必死に歩んできましたが限界のようです。もう賽を投げるしか道は何のかもしれない。


 ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、我が破滅。進もう、神々の待つ所へ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!