「性格は複雑だった」

 昨日は機嫌が悪ったです。部長に長々と説教され、「そんな長々と説明しなくても簡潔に説明すれば解るんだよ!こっちは子供じゃないだ。いちいち細かいことを延々と話すなよ。」と切れ掛かり。
 「仕事が遅い」と言われ「こっちは担当になってまだ2ヶ月なんだ。難しい仕事を色々と覚えながら自分一人の力だけでやっているんだ。結果をすぐに期待しすぎて、せっかち過ぎなんだよ。長い目で見て、人の見る目を持たなく、同じ手法で人を育てようとしているから、育たないんだよ。」と思いながら聞き流しw帰ろうと思ったら自分の傘がない。朝から降っていて自分のを持っているのに、間違えるじゃねえぞと怒り心頭。

 
 私は日常大抵の悪い物事は起こった当初は不機嫌になりますが、大体数時間や一晩寝て起きれば、さっぱりと忘れます。基本的に私は「怒り」に関して執着がなく、持続力がないのです。しかし物事は例外はあるものです。その時は、執念深く一生忘れずに相手が忘れた頃何かやらかします。くれぐれも取り扱いには注意して下さいw
 昨日の件に関しては部長にそれほど悪い感情はありませんが、さすがにいちいち細かいこと長々と言われるので、今に立派になってその時に言われたら、言いたいことを言い返してやる。あと、悪戯で物を取り上げて皆で物を渡さないで回されて遊ばれたり、物を隠されたりするのが大嫌いですね。自分の物は自分のテリトリーなので悪戯や悪意などで弄ばれることが嫌いなのでしょう。仕事上はともかく、私事で自分のテリトリーに了解もなしに入られるのが非常に嫌いですね。

 ふとこのようなことを書いていたら、ローマ帝国五賢帝の1人。在位期間の半分以上巡行して、くまなく帝国各地を自ら「メンテナンス」をしたハドリアヌスと性格がそっくりだなと苦笑しました


 
『一貫していないといことでは一貫していた』 


 その評価をなるほどと思って読む人も、誰に対しても親切でなければ親切ではない、と思っているのではないか。ところがハドリアヌスは、親切に値する人に対して、親切であったのではないだろうか。
 誰に対しても親切にするのが職務である、聖職者やそのたぐいの人々は別とする。この人々以外の俗世の人間にとって、誰に対しても親切、ということは、誰に対しても親切ではない、ということではないだろうか。ハドリアヌスは、ローマ皇帝のという最高権力者であったから、人々は彼に、誰に対しても一様に親切であることを求めたのであろう。だが、彼にはそれができなかったのだ。その結果、厳格であるべきときは厳格に、愛想よく振舞ってよければ愛想よく、親切に値する人に対しては親切に、それに値しない人に対しては気難しさを隠さない。また、快楽に溺れてもよいときはそれを味わいつくすが、抑制が必要となれば禁欲者に一変する。ケチである必要があるときは、他人の思惑などかまわずにケチに徹し、褒章が与えるのが当然と思えば、周囲が目をむく褒賞でも惜しみなく与える。誠実に値する必要がなしと判断した者には、不誠実どころか嘘でさえも言い、誠実に値すると思う人に対しては、このうえもない誠実な態度で接する。容赦する必要もないと考える人には、情け容赦なく追いつめることをやめず、反対に、その人を功績を認める場合は、これが同じハドリアヌスかと驚くほどの穏やかで寛大で丁重な態度で接する。
 「一貫していないことでは一貫していた」のでなくて、自らに忠実に振舞うことでは、ハドリアヌスは「一貫していた」のではないだろうか。

 ただし、このようなハドリアヌス的「基準」に則して人への対応が決まると、同じ人物でも時と場合によってちがうあつかいを、皇帝から受けることも充分にありうる。これが人々を混乱させ、その結果が「一貫していないことでは一貫していた」の評価になったのではないか(『ローマ人の物語』より)

 

 私も基本的に他人には理解できない「自分の基準」によって行動してます。ただ彼と決定的に異なる点は私には「慈愛」の心が強かった事と自分の育った環境です。さすがに実家が接客業ほどではないですが一般的な核家族と異なり、祖母と同居して親戚が家によく来ています。また祖母も母も交際範囲が広くて、様々な方々と付き合うことになりました。
 衆議院の参事官、大蔵省の元キャリア官僚で現在会社を経営している方から、『天空の城ラピュタ』の作画監督を務めた方やパチンコ狂でチンピラくずれの方まで、様々な立場や性格の人間を子供の時から接していました。その中でその人の「本質」を見極めて、瞬時にそれに合った対応をする術を自然に身に付きました。そのようなことで普段は温厚にその人にあった対応をしていますが、ふと地が出ることもしばしば・・・元々の性格も身に付けた性格も自分自身には変わりありません。自分でもかなり矛盾した「複雑な性格」だと思います。