思うままに・・・その2

 結構私は人から哲学的と思われているようです。まぁ、哲学的な話題に、例え知らなくても少し調べて話題に乗れますから、あながち間違いではないとは思います。正確には哲学的というよりも思想的といった方がよろしいかもしれません。話を抽象的にするのは、得意です。具体的に話をする方が性には合っているのですが・・・昔若い時は討論系サイトに出入りして、闘争本能剥き出しでよくやったものですw今もその癖が残っていて、批判のメールや意見などあると少し嬉しかったりします。もっとも丸くなって、最初様子を見て相手を見極めてから臨機応変に立ち振る舞います。譲れるところは譲ったり、譲れないところは譲らずに頑張って、相手への配慮も考える余裕も出てきましたし。
 小学校に上がってから自分の中の問いを考えたりしてました。ほとんどが取るに足らない幼稚なものでしたが、たまには年相応以上のことも考えたりしました。そのような事を密かに抱えながら、思春期を迎え、大学に入り梅原猛氏の著作に出会いさらに深化していきました。またもとから興味を抱いた河合隼雄氏を始めとする臨床心理学を学ぶようになり、自分自身をより知るようになりました。それは自分の中の他人。自分すら知らなかった自分。それを知って色々考えるようになり、自分が成長した気分になりました。
 それはそうと哲学書は、ほとんど読んだことありませんね。エヴァの影響で『死に至る病』を読んだくらいです。あとは名前を知って概要を知っているだけです。所詮他人の考えたもの。読んでも自分の糧になると思いますが、だらだらと結論を先延ばしするようなものは、性に合わないもので・・・自分で考え見出したものとこそ価値があると考えています。誰が何々言ったからどうのこうの論証していくのは、真の哲学とはいえないと思いますので。
 大体思索を耽る時は、ふとした事がきっかけで考えるという感じです。それを深く考えるか、考えの内容を全く変えたりと「考える」よりもせつな的に「思う」と言ってもいいかもしれません。ただ深く考える時は、とことんしますが・・・
 あと「思想的」と言ったのは、表面上は孫子、下にユング韓非子、さらに下に老子の思想があります。あと幼稚園が仏教系の所だったので、お祈りしたり座禅したりしたので、根底に禅宗の影響が大きく影響していると思うのでそう思ったのです。
 まぁ、これだけごちゃ混ぜですが、自分の中で消化しているので混乱するということはないですね。それに性格や自分の思想に多面的な要素があり、今自分の考えが世間的に自分の中で正しいとは限らないと思ってますし。ただ自分の考えを見出したことには、意味があるとは思ってますが・・・