奇跡の価値は?


◎ シーイズトウショウ
○ テイクオーバーターゲット
▲ チアフルスマイル
△ レザーク
☆ サイレントウィットネス
× タマモホットプレイ

買い目は、上位4頭の馬連BOX
 

 シーイズトウショウは、強行軍ながら確実に実績を上げてきて、前走の圧勝劇をみると本命視したくなります。問題は疲れが残っているかどうかですね。対抗は、テイクオーバーターゲット。実績もあり今期は充実、前走で叩いて2着のも好材料チアフルスマイルは、前走でシーイズトウショウをさし切って実績があり、展開が向けば一発がありそう・・・レザークは、充実している1頭。問題は、英国から出たことがないこと。能力はある馬だと思うので、あるいは日本でも勝てるかもしれません。本来ならサイレントウィットネスが本命ですけど、前回以降アクシデントで本来の走りが出来てないのが痛いですね。復調はしているようですが、前回ほどではない気がします。タマモホットプレイは、何か想定外のことが起きれば浮上してくる馬でしょうね。春のスプリント王のオレハマッテルゼも、鉄砲実績はあるがここだけのメンバーで本来の走りが出きるか疑問です。取りあえず前回の覇者のサイレントウィットネスやオレハマッテルゼが来れば大人しく諦めます。

 『天使憑きの少女』フルコンプ。完成度だけなら、私がプレイした今年発売の作品の中で随一でした。本当に感想を書いてしまうと、完全ネタバレして書かないとならないので、出来る限りネタバレを避けるために、抽象的な話になることは、ご了承してください。


 この作品は、非常にキリスト教色が強い作品です。なんせ、エヴァのように聖書に出てくる天使が頻繁に出てきますからね。私は、クリスチャンでもなくそれほどキリスト教に造詣がある訳ではありませんが、キリスト教の根本な教えは「愛」だと思います。皆様も何処かで聞いたことは、あると思いますが、「何時の隣人を愛せよ」と言うように、憎悪といった不の感情を排して、「愛」で他者と接するのがキリスト教の教えだと私は解釈しています。
 

 勿論それだけでなく、創造主を信じ許しを請うことも大事です。これが我々日本人と西洋人の根本的な違いでもあります。私が何故「神」と書かずに「創造主」とあえて書いたのも、その誤解を解く意味でした。ユダヤ教キリスト教イスラム教それぞれ違う宗教ですが、神が1人だけしかいない一神教という意味では全く同じです。また、それぞれ呼称は異なりますが、同じ創造主の事を指してます。人間は所詮、創造主が世界を創ったついでに、「土くれ」から自分を似せて作った存在に過ぎません。だから間違いも犯す。それを前提に社会システムを構築しており、今でも三権分立のような政治システムも人間が間違いを犯す事を前提にしております。アメリカ独立宣言の権利の論拠になっているのは、創造主が与えたからです。欧米が民主化した影響もグーテンベルクが、活版印刷術を発明して聖書が一般の人間に浸透したお陰だと言われています。


 一方多神教の仏教や神道ですと、神が多くいて間違いを犯しています。また「正義」は多種多様あることに繋がります。その寛容さのお陰で他の宗教の神を、自分の宗教の神に平気で取り入れてます。有名な毘沙門天も元々インド土着の神でした。一神教は、「正義」は1つしかなく寛容さはありません。キリスト教は、聖人や三位一体、聖母マリアのように多神教の要素を取り入れたから、世界宗教になることができたと言えます。それとは反対に、イスラム教は偶像を全く認めない一神教の要素を大きく取りえたから今の隆盛にあるとも言えるでしょう。この一神教の弊害と利点は、大航海時代から今現在まで影響されています。感の良い方ならすぐお解かりになることでしょう。


 話を戻しましょう。『天使憑きの少女』の中には愛に満ちた登場人物が多数出てきます。他の作品に、「愛」と「恋」の違いとは何かと問いかけがありました。そのヒロインは「恋」は異性だけに使われる言葉で、「愛」は人間以外の物、抽象的な物まで対象にしていると答えました。言い得て妙な答えだと思います。この作品の登場人物の「愛」は異性に限った物でなく家族、友達、知り合い、その他名前を知らない誰かにも向けられています。「愛」ですと大げさになるので、「慈愛」と言っても良いかもしれません。他者を慈しみ愛する事。この「愛」がこの作品のメインテーマと言っても過言ではないと言えるでしょう。それとそれに関して感謝し、支えた身近な人間に感謝することだと思います。


 また、完全ネタバレになれますので、もっと抽象的な話になりますが、ある社会問題に真摯に向い描いています。私も実はもし何かあった時に備え財布に入れ携帯しています。このことは、この作品が最後の方で「反対意見根強い」と入れてるように難しい問題です。これが国内で決まった時も国内で様々な意見が出ました。これを扱った政府の諮問委員会は、慣例で全会一致の最終回答を政府に出すのですが、これに限っては全会一致ではなく多数決で決まり、少数意見も併記と言うほとんど前例のない最終回答に落着きました。国会でも同じく倫理上の問題で確か全党が党議拘束を外し、議員の自己判断に委ねる形になったと記憶しております。


 実際私自身に関しては、認めていますが、もし家族や恋人、友達がそうなったら果たして認めることが出きるか自信がありません。諮問委員会の反対の急先鋒が言った「私としてこのことはどうしても認めることが出来ない。ただその行為だけは認める。菩薩行として自己犠牲として認める。」と意見を述べました。菩薩行とは、例えばブッタが腹がすいた虎に、自分の体を差し出し捨身すること。愛によって自分がどんな状態でも、目の前の苦しんでいる人を助けずにはいられない、そして、助ける。そのような行いのことです。結局は、それに行く着き納得するしかないと考えています。


 全体的な感想としては、ほとんど無駄を剥ぎ、削ぎ取ったエピソード群によって構成されています。決して楽しい物ではありませんが、やり終えた後何か心に残ると思います。私のこの雑感で興味が出てやるのも一興でしょう。


 ただいまこれが今年度2位。果たしてこれを越える物は出てくるか?それも楽しみです。