ネットを彷徨うと思う事

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 よく考えると私がインターネットを始めて、5年以上経っていたんですね。月日が経つのって早いものです。それはそうと、先日ミクシィmixi)が株式を上場して、話題になっていました。もはやインターネットは、我々社会生活を送るのに必要なツールになって久しくなりました。私自身ちょっとした調べ物をする時には、検索して情報を収集しますし、その他情報をより早く、ピンポイントで得る手段になっています。また、書籍など一般の商店で手に入りにくい物は、少し地元の大きな所を回ってなければ、取り寄せの手続きが面倒なので、ネットの通販で頼んでいます。それこそ、昔はありとあらゆる店に行って、探し回った頃に比べると隔世の感があります。


 また、コミュニケーションツールとしての役割も忘れては、ならないですね。今まで出会う事のない接点のなかった方々と気軽に、コミュニケーションを取れるように世界が広がりました。それに加え、HP等で自分の趣味、主張などで自由に表現できるようになり、一部の表現者の特権だった物を剥奪した感じになりました。


 勿論物事にはメリットが存在するように、デメリットも存在します。前者は気軽にコミュニケーションを取れるようになり、犯罪の温床になりやすいということ。これは、車が交通事故で人を撥ね殺すように、使う人間が悪い事です。ネットも車を扱うように扱うのに注意することです。これは、ネット云々の問題ではなく、物事、事象には利便性があるように、危険性も含まれていると心しておく事ですね。


 その他には、俗に言うネット中毒になりやすいということ。ネットは、自分で取捨選択し扱う事が出来るので、自分の心地よい世界に浸かりなかなか抜けにくい点です。ネットで接する人間は、所詮他人です。基本的にしがらみもない、直接的な利害関係のない人間達です。ですので客観的に指摘してくれる半面、相手に都合の良い助言等を行うことです。それに魅力に感じ、自分の都合の良い関係のみの世界を構築し、それから抜け出せなくなりやすくなります。まぁ、息抜きで所詮は他人だと、どこか冷めた感覚で浸かるのでしたら良いのですが、人間は弱いものですからそこから抜け出せなくなりやすいものです。


 後者の表現者としての問題点。現実世界とは異なり、何も実績も責任もない人間でも表現できる事です。これは、表現が現実に地に付いてない机上の空論になりやすく、また過激になりやすい問題点があります。ネット右翼などは、典型的な例です。しかし、地に付いて習作として表現する事においては、非常に良い所だと思います。


 最近特に思う事は、少し今までのが重複するかもしれませんが、インターネット言う「手段」が「目的」になっている事が散見できる点です。あくまでもネットは「手段」であって「目的」ではありません。歴史上で「手段」が「目的」化して失敗した例がいくらでもあります。例えば有名な新撰組を取り上げましょう。元々寄せ集めの集団のため統制を取るため、局中法度という鉄の掟を作りました。それで寄せ集めだった組織が纏め上げられ幕末の京都で池田屋事件での活躍のように、良いように向いましたが、その後はその局中法度のせいもあり、内部紛争が続き目立った活躍が出来ずに段々と瓦解の道を歩んでいきました。新撰組自体に人気がありすぎて、しっかりとした研究本を読んだ事はないですが、副長の土方歳三は、故意に「目的」を「手段」にしたような気がしますね。


 私自身は自己表現の為にホームページの作成を考えた時期は、ありますが何となく才能の切り売りをしたくなく今の状態に落ち着いた次第です。やはり現実に地に付きながら、このような形で習作していくのが自分には合っていると考えています。では、今日はこの編で終わりにしましょう。