偶然だが必然、必然だが偶然。

 『君が望む永遠SFD』遙EDクリアしました。もうかれこれ、コンシューマ版をしましたので、3年前にプレイしましたが、面白いものは面白い。少し青臭いけど良質なゲームですね。今回のプレイで、まだ私が気付いてない2章への伏線が、あって作りこみの凄さに驚きました。また。本編の2章シナリオでその当日の4人組の行動が、何らかの影響を与えました。それが、もしこれなければ・・・全く異なる人生を歩むことになりました。あの時あの場所に遙が立っていて泣きそうになりました。
 

 「平凡の中の非凡」私が多大な影響を受けた梅原猛氏の実父に、あたる故梅原半二の自伝的な著作の名前ですが、彼の生涯を辿っていると何となくそんな名前にしたのか解かります。彼は、知多半島の田舎の名家に生まれ、実務家が多い家系の中でも抜群の成績だったそうです。旧制中学時代、東大間違いないと周囲が言われる中、受験に失敗し東北大学に入学しました。入学した教授が彼の才能を見て「何故こんな大学にいるんだ」と驚いたそうです。
 在学中に下宿先の女性に恋し、彼女との間に梅原猛氏をもうけました。当時見合い結婚が当たり前だった時代、未来を嘱望されていた青年でなかなかの名家の出身ということもありし、彼らの結婚は梅原家を中心に周囲に反対されました。そんな状況で氏を生まれました。戸籍上は伯父夫婦の子供にし、約一年間3人で生活していました。その後2人は、結核を患い実父は生死の境を彷徨い、実母はこれまでの心労も重なり亡くなりました。その後、猛氏は母方の祖父の家に、引き取ることなりました。しかし2、3年後、半二の長兄に子供がいない為梅原家の方で引き取りたいと申し出て、養子に出されました。その後は、また別の話。
 その頃病も癒え、他の女性と結婚し研究者にはならず、喫茶店のマスターになりくすぶっていました。そんな中豊田喜一郎が、父豊田佐吉が残した紡績で儲けた資金を元手に、自動車業界に進出しようを図り、人材を探してました。半二の恩師が、彼を紹介しトヨタ自動車に技術者として向い入れられ、カローラ等の開発にエンジニアとして指揮に当たりました。その後、常務取締役や豊田中央研究所所長を務めて、トヨタ自動車の技術面の礎を築きました。

 

 私もまぁ人間20年以上生きていると、それなりに色々とあるものです。父と同居していた外祖母との諍いや高1の夏親しい叔父が大きな交通事故をし重症を負い、介抱する伯母の負担を軽減するため小1、小2だった従姉弟を私の家に一ヶ月半ほど引き取り、私が面倒をみたり、大学1年の時は男の子がいなかったので物凄く可愛がってくれた第3の母(第2は外祖母)の突然の事故死とか、社会人になっても色々とありました。転職や鬱病に患ったり、2年前に同居していた祖母が突然亡くなったりしました。
 そんなことがあるから自分が特別とは思いませんし、世の中には私の年で、もっと波乱万丈な生涯な送っていた人も多い事でしょう。悲しい事もあるし、楽しい事もありました。人が死ぬようなどうしようもない事もありましたが、亡くなった人間の為にも、そして自分自身のためにも自分の糧にしようとしています。私は、「偶然だが必然、必然だが偶然」という言葉を多用します。物事が起きる事はほとんど偶然の積み重ねです。だけど、自分でなければ起こらなかった事もあります。自分の成長を試すような事も起こりました。それは、偶然ですけどただ偶然だけでは片付けたくない。何処か選び取る意思があったと思います。そのような意味で使っています。もし「神」という存在がいるとしたら「偶然」という「サイコロ」を投げる存在なのかもしれません。そんなことを時々思います。最後に私が好きな言葉を引用して終わりにしましょう。


 「私は自分自身の生命がたどった流れに満足している。それは恵深いものであり、多くの事を与えてくれた。それほど多くの事をどうして期待しえたであろう。全く思いがけないことが、私に対して起こりつづけた。私がもう少し異なった人間であれば、多くの事が異なっていたであろう。しかし、それはあるべくしてあった。つまり、私が私であるようにあるために、全ての事をが生じたのである。多くの事が、私が計画した通りになったが、それは常に私にとって好ましいものとは限らなかった。しかし、ほとんどすべてのことが、自然に、運命によって発展した。私の頑固さから生じた馬鹿けたことを、後悔している。しかし、その頑固さなしには、自分の目標に到達する事はなかったであろう。それで、私は失望し、また失望していない。私は人々に失望し、自分自身にも失望する。私は、驚嘆すべきことを学び、自分に期待した異常の事を成し遂げた。生命の現象と、人間の減少はあまりにも広大であるので、私は何らかの最終的な判断を下すことはできない老年になるにつれて、私は自分自身について、理解し、洞察をもち、知ることが少なくなる。
 私は、自分自身に驚き、失望し、嬉しく思った。私は苦悩し、抑うつ的で、また狂喜する。私はこれら全てであり、総計を算定することはできない。私は究極の価値と無価値とを、決定する事はできない。つまり、自分の生涯について判断をもたない。私が全く確実にと思うことない。確たる自信はない−−実際何についても自信がない。私が自分が生まれ、存在した事のみを知っている。そして私はもち運ばれてきたかとのような気がする。私は自分の知らない何ものかの基礎の上に存在している。そのべての不確かにもかかわらず、全ての存在の下にある堅固さと、私のあり方にの連結性を感じてる。
 われわれの生まれたきた世界は、無慈悲で残酷である。そして同時に、神聖な美しさをもっている。どちらの要素が他よりもまさるかのか、価値か無価値か、は気質の問題である。もし、無意味が絶対に優勢なると、生きることの意味は我々の発達の各段階のように共に、急激に消え去ってしまうだろう。しかし、このようなことはありえないと−−−と、私には思える−−−。多分、すべての形至学上問題のように、両方とも正しいのあろう。生きることに意味あり、そして意味がない。私は、意味が優勢になり戦いに勝つことを切望している。」(ユング自伝より)