純粋の中の不純

 昨日、多少書いた哲学者の梅原猛氏の実父の梅原半二の『非凡の中の平凡』を読みました。猛氏は、哲学者でも規格外で豪快で自説を曲げない人物。対して半二は、理系で非常に繊細で温厚な印象がありました。全く対称的な人物ですが、やはり地は争えないもの。様々なエピソードが似通っていたり、人に立つ時の心構え、一度決心した事は曲げない芯の強さ、世の中の考え方と言いますか哲学は、非常に子供の猛氏に似てます。
 半二は、トヨタ自動車の常務まで勤めた人物です。私も以前の会社がトヨタの子会社だったので、何か親近感を持ち,専門的な話になると解からない部分があります。著作は、エンジニアとして設計者として技術者、品質管理担当、常務として経営者としての複数の視点で、興味深く読みました。特に印象的な話は、営業は顧客がお客さん、品質管理は営業、現場がお客さん、設計者は後工程となる全てがお客さんで、顧客は神様という話です。設計と申しますと技術畑でそのような意識が、忘れがちです。設計は無から生み出すものなので、有の存在を解からなければなりません。同じ技術者として、心して置かなければならないと思います。ある意味この人の人柄がにじみ出てますね。
 もう20年近く前に亡くなった人物ですので、著作の多くは昭和40〜50年代に書かれたものです。だが、現在でも通用する考え方や先見性には舌を巻きます。やはり、ただの技術者ではないですね。実子に当たる猛氏もそうですが、非常に広い視野を持った方です。この父ありて、規格外の哲学者梅原猛この人ありですね。