小さなメダルの王様


五円玉





 神社やお寺でお賽銭に、「ご縁がありますように」ということで五円玉が好まれています。 その五円玉の重さは?3.75gです。これは江戸時代の代表的な貨幣、寛永通宝の重さと同一です。よく時代劇で見かける貨幣の1つなので、見た覚えはあることでしょう。






 徳川時代では金銀銅の貨幣があり、臨時的に藩幣の紙幣がありました。関東では金、関西では銀が主流でした。たまに見かけますが、関ヶ原の戦いを、金と銀の戦いとも言われています。そして銅製の銭はよく使われる貨幣として、特に庶民には身近な貨幣です。寛永通宝は特に良質で、江戸時代を通じて使用されていました。そしてなんと昭和28年まで、貨幣として通用されていました。


 3つもあると大変そうですが、実際大変でしたw江戸では金ですが大坂では銀なので、現在の国際旅行のように替えるようでした。旅行や流通業界はわざわざ両替商で、両替していました。例えば短陌つまり銭を紐を通すやつで、100文ですが実際は96文しかありませんした。つまり4文は両替商への手数料になっていました。また「ビタ1文もやらない」という諺がありますが、鐚銭つまり質の悪い銭は4問で1文とされていました。このように大体成功した商人は、大名貸しか両替商を営んでいました。大名貸しは収入が大きいですが、官憲に狙われやすいのでリスクがあります。それに対し両替商は、主に庶民を対象にしているのでその点には関しては大丈夫です。それなので呉服屋で成功した三井、銅の発掘で成功した住友ともに進出して、後の三井銀行住友銀行の基礎となりました。今合併して三井住友銀行になっているのは歴史の皮肉でしょうか?


 少し横道にそれました。徳川時代寛永通宝でしたが、その前は政府に発行する能力がなかったので、鎌倉時代あたりから宋銭、明銭が使われていました。永楽通宝が代表的なものです。織田信長が旗印として使い、真田幸村で名高い真田家の家紋六文銭紋もおそらくそうでしょう。信長の経済感覚がずば抜けている証拠でもありますね。



探したけど家に見つからなかった…


 今宵はこの辺で…


 Ate breve! Obrigado!