因果関係


 最近皆既日食があるせいか、江戸時代+皆既日食で来られる方が多いようです。


 歴史に天文、気候で変わることもあります。



 天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝(日本時間。世界時では4日)に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。井沢元彦も『逆説の日本史』でこの説を支持している。さらに、橘高章と安本美典は、247年3月24日夕方にも北部九州で皆既日食が起こったことを指摘し、247年の日食が原因で卑弥呼が殺され、248年の日食が原因で男王に代わり壹与が即位したと唱えた。これらの説は、邪馬台国北九州説や卑弥呼天照大神説と密接に結びついている(ただし不可分ではない)。


しかし、現在の正確な計算では、いずれの日食も、邪馬台国の主要な比定地である九州本島や畿内の全域で(欠ける率は大きいが)部分日食であり[5]、部分日食は必ずしも希な現象ではないことから、日食と卑弥呼の死の関連性は疑問視されている。

 つい天照大神(天戸神話)=卑弥呼神功皇后を想像していますね。
あわ

 他には江戸時代後期あたりが、興味深いです。徳川吉宗治世以降天変地異が、数多く発生します。


 まずこの時代は、小氷河期に当たります。ために農業生産に、多大な影響を受けました。例えば天明の大飢饉は、冷夏が原因でした。ある藩では、半分以上が亡くなったとか、食料が無く死体を食べたとか…


 死んだ元々米は亜熱帯の植物なので、冷寒地にはてきませんでした。現在は北日本は米どころでしたが、それは品質改良の成果です。一般的に日照りは西日本は凶作、東日本は豊作と言われました。


 他には源平の戦で、凶作だったので一時休戦。有名なところでは、「娘を売る前に当方まで」と役所に幕が垂れ下がっていました。昭和の飢饉の時青年将校(その頃は東北出身者が多かった)がタブーだった政治参加をし、556事件や226事件の引き金になりました。そしてW2に行き着く。


 また富士山、浅間山の噴火も起こりました。関東地方に大打撃を蒙った。赤土のいわゆる関東ロームは、その頃のものです。これらの災害は、為政者に多大な影響を受けました。特に田沼意次は江戸時代で一二を争う経済感覚を持つ政治家でしたが、成り上がり者の偏見と災害の被害で失脚せざる得ない状況に追い込まれました。これが江戸時代の変革の最後のチャンスでした。



 さらに影響は世界に広がる。聞いたところによると浅間山噴火の影響で、凶作になりフランス革命の遠因になったらしいです。
 


 色々と歴史に、影響している場合がありますね。