被害者氏名確認


 事故発生。7時20分ごろ
え〜、遺留品の免許証の写真にて本人と確認……被害者氏名--
株式会社○○社員・・・被害者氏名確認、大樹・・・
大きいに樹木の樹


もう戻れない♪
あなたの腕に包まれていた♪
優しい日々♪


 事故りました。いやマジで・・・場所はT字路だけど、少し特殊で歩道が隣接されていて、そこから他の道路に抜けられます。ですので歩行者、自転車にとっては実質上十字路。通勤で駅まで自転車で行っているので、そこを突っ切ろうとして右から来た車に接触。幸い真正面にぶつかったので、前輪のタイヤがクッション代わりになりました。ですので直撃は避けられ、自転車の側部にあたってから身体にと。右ひざが結構痛かったので、運転手は近所の人に言われて、警察に連絡。救急車が来て、色々と体の状態について聞かれるころには、痛みは和らいでいました。色々とされて、スーツを脱がされ、Tシャツのボタンまで・・・そんなことされたら、お嫁にいけなってしまうwでタンカーに寝かされ、貴重な体験をしました。実は初めての救急車の中、霊柩車の方が速いって珍しいですよね?多分・・・お互い連絡先を交換。・・・それとに自分の会社に連絡しないと・・・
 

 搬送先の病院で整形外科で問診、痛い個所をレントンゲン撮影して、診療にと結構待ち時間が長くて本を読んでいました。のんきというか危機感のなさw診断の結果、右ひざの打撲、全治2週間。時間が経つと痛くなるとのこと。なわけで痛み止めなどの薬などを処方。一週間後に来てとのこと。会計でも結構待つ勿論読書。胸がはだけたTシャツ姿のままw会計が損保の保証金で一万。普通に払うと9万と聞いて吃驚。飄々としてますが実は、事故対応は初めて。適当に話を進めている俺ってやっぱ大物だなw相手側に出会い一緒に警察に行くと聞かされ、薬局がまだあるので待ってくれと進む。そこでも適当に対応して、損保が解らないので相手先がちょうど話していたので、替わってもらい情報を引き出す。
 薬局の人から6000円以上かかると聞いて、さすがに持ち合わせがないので待ってもらい、すぐそこの駅前の銀行で金を引き出す。勿論あのステキな格好で街中を歩き回る。処方が終わり、やっとまともな服装に戻り、相手の車に乗って警察に向かう。
 

 車は社用車で名刺も営業の人なので、保険もすんなりいきました。社用車ということは、保険は会社持ちが普通。なので自分は、免許の点数だけ気にしていれば平気です。一般車だと自分持ちで、事故を起こすと掛け金が上がりますから、ごねる輩もいますね。相手も勝手知ったるで大丈夫ですか?とか聞くだけで他に事故に関して発言しません。当然こちらも適当にお互いの仕事の話とか世間話するだけ。少し何やら文句らしきことを言っていましたが、聞こえなかったふりをして無視。
 自動車は歩行者や自転車よりも立場が低いですから。もし面と向かって文句を言われたら返す刀で、「あのような見通しの悪い交差点の場合、もし何があるか解らないので、スピードを落とすのが普通ではありませんか?でもあの時貴方はスピードを落としませんでしたよね?自動車学校でこのことを習いませんでしたか?」と言うつもりでした。交通事故の場合、例えこちらが悪くても謝るような、自分の過失を認めるような言動は厳禁です。人として怪我は大丈夫ですかとかの自分に有利なることは構いません。基本的に事故について何も発言せずに保険屋に任すのがベスト。
 警察署に行って個別に事故の調書を取って、事故現場まで送ってもらい「お互いこれから気を付けましょうね」と無難なことを言って相手と別れました。家に着いてしばらくしたら、保険屋から電話。事務的な話をする。まぁ初めての事故の対応としては無難にこなしたでしょう。
 事故すると後から痛みが来ると言いますが、段々でてきましたね。


 それと今日は私の誕生日でもあります。えーお前1月28日だろうと言われそうですが、出産予定日が今日でかなりの早産でした。確か2200gの未熟児で、3月3日まで保育器の中で育てられました。ある意味外界に出た記念すべき日なのでで第二の誕生日ですね。その間、母方の祖父母特に祖父が母乳を病院まで届けていたらしいです。自分の子供を抱いたこともないのに、孫となると違うんでしょうか?それでも母が一番可愛いがわれていたそうだから、その子供で初めての男の孫だから可愛かったのかな?祖父の生前はとても可愛いがわれていましたね。また、ばぁちゃん子でした。まさかこの赤ん坊が自分の家を継ぐとは、考えなかったでしょうね。4件の子供世帯で家を継ぐ権利が一番なかったですから。
 祖父が祖母に土地を貰って来いと言われて、祖母の実家の兄から土地をポンと生前贈与されて、今の家があります。それと並ぶように、畑と駐車場がありましたから、よく私の家のものだと誤解されていました。というか元々今住んでいる一角は、祖母の土地でしたから。自分の庭で小さな祭りをするほどの家だったです。家を継いだ大伯父は、農業が嫌いで国会の仕事や定年で辞めた後国家意義言いの秘書などをしてましたので、ほとんど土地を売ってしまいました。家は長男である叔父が中心になって、設計されましたが祖父の急死で、若干の修正が加えられました。駐車場の方は父がちょうど年数で社宅から追い出されるので、大伯父から土地を買って家を作る予定だったそうです。
 まぁなんだかんだあって1年程で叔父が出て、誰が継ぐ相談をしたそうな。下の叔父は、大伯父に嫌われていたそうなので、絶対継がせないとのこと。長子である伯母が母の択一で、うちになったそうな。その相談に母が同席してなくて大変驚いたみたいです。まぁ権利が最下位ですから・・・父が実の父。祖父に相談したところ、他の家に財産放棄の念書を出させろとしたそうです。それと父の条件として姓は変えないこと。父方の姓は、伝承で何か有名な子孫で由緒があるそうです。実家は近所なので誰なのかいつか調べてみようかと思っています。父はそういうの頓着しないので、ただ婿養子になることを嫌ったのでしょう。私の代になれば、色々めんどくさいので母方の姓に変えるかも知れません。
 父は私に負けず劣らずアクの強い人間ですが、筋は通して常識的な行動をするので、大伯父にそこのところを買われたのかもしれません。大伯父の娘が近所に住んでいますが、他の兄弟に筋を通す為に土地は大伯父の名義でした。国家公務員だったことで、固い印象しますが全く異なります。引退後は女遊びをしたり、パチンコしたり、遊び人w私の家から歩いて10分ほどなので、お使いを頼まれればあの夫婦の子供だからどうせ飲めるだろうと、○○生なのに昼間からビールを出されたり大変愉快な人でした。実家ですとどこの家はどうしたと子供ながら聞かされていたので、従兄弟連中では1番の情報通で大人びるわけだw


 かなり横道に逸れましたが、子供の頃から本家の跡取りという自他ともに認める意識が強いので、親戚連中から過大評価されるほど買われてます。週始め、週の終わり、給料日、祖父母の月命日となにかあれば仏壇に線香をあげているのは、家でも毎日上げている母抜かせば私のみです。父や妹はさっぱり。仏様を大事にしているので祖父母たちが、今日の交通事故も守ったのかもしれませんね。