「夢の終わり」


 世の中には、その流れを変える作品や人物が存在する。私はよく知りませんが、エルフの『同級生』のエロゲーのADVの基礎を作ったそうな。次に葉鍵でしょうね。Leafの『ToHeart』は、萌えゲーの原型を、Key製作陣が作った『ONE〜輝く季節へ〜』『Kanon』にてシナリオ重視とりわけ泣きゲーの流れを作りました。その後しばらくその影響で、『君が望む永遠』『水夏SUIKA〜』『銀色』など数多くの良作が生み出されました。02年になって流れが変わり始め混迷の時代に突入。04年あたりから何となく形が曖昧な流れになり、今に至ってます。
 自分で作った流れを自ら決別したのが、この『リトルバスターズ』でしょう。Keyのパターンは、人の綺麗な部分を見せて素晴らしい音楽と巧みな演出でユーザーの感性に訴えかけて感動させる。奇跡や他人の助力で、主人公がヒロインの悩みなどを解決させる。他力本願な部分が、Keyを批判する大きな材料になっていました。それが大きく変わりました。本作品では本筋の部分で、奇跡にも周囲の助けを借りずに自力で自分とメインヒロイン格の鈴の精神的な成長を遂げました。
 これは大きな方向変換だと思います。以前は良くも悪くも「おとぎ話」的な部分を否定できませんでしたが、本作品はそれを否定し地に足に付けた作品になりました。勿論全てが自力でなく周囲のお膳立てのあってのことですが、結局は主人公に下駄を預けています。基本的に周囲は何もしませんから、自分で考え行動して、それが結果的に自分の精神的な成長に結びつく。この点が、以前の作品との大きな相違点でしょう。『智代アフター』にて、その芽はありましたが、あれはヒロインですし元々精神的に強かったです。他の部分例えば登場人物のキャラクター性、楽しい日常シーン、音楽、演出等Keyらしいところは健在です。


 ある流れを変えることは、並大抵なことではないです。一般的に主流から外れたものが、それを作ってきました。エルフ、LeafそしてKeyともに業界の主流から離れて自分が作りたいものを作って、それが結果的に新しいもので業界全体がそれに倣う。何故主流でないものから発生するかと尋ねれば、主流なメーカーならその当時の流れに、合わして作っている場合が多いからです。
 歴史から紐解きましょう。明治維新を起こしたのは、薩長などの志士です。薩長は幕府から仮想敵国として監視されていました。薩摩藩の内情を知る為に「薩摩飛脚」なるものを派遣しましたが、見つけ次第殺され、生きて帰れる者は稀だったそうです。そしてこれらの藩には、幕政の参政への扉は硬く閉ざされていました。皮肉なことですが幕末に幕府に攻撃した政策構想を、明治維新はそれを踏襲しています。それなら倒幕など必要ないではないかと思いますが、「主流」には様々な「しがらみ」がありおそらく計画倒れに終わったことでしょう。薩長のようになんの「しがらみ」がないから、あのような大胆な政治一新が可能だったのでしょう。なんせ武士が自らの手で、自分の名誉や既得権益を奪う前代未聞な荒行をしました。そのようなことがあったからこそ、欧米以外の地域に先駆けて近代化に成功した大きな要因なのでしょう。
 現状の業界にはそのような存在はありません。Type-Moonがこの候補ですが、自分の書きたいように書いてますが、同人出身な為かユーザー受け悪く言えば媚を売っています。それはむしろ大事なことで決して否定しません。しかし、新しい流れを作るためにはユーザーの思惑など邪魔で孤高にならなければなりません。一時的なブームを作ったり、それに便乗した作品もあります。その代表格は、ツンデレブームのきゃんでぃそふとの『つよきす』があげられます。


 先述した通り業界には「曖昧な流れ」であると書いた通り、業界を引っ張るような作品がはや7年も登場してないことが大きいでしょう。そんな混迷期の中で自ら作った流れに、一応終止符を置いた本作品はこの業界に足を入れている人間にはやるべきだと考えています。


 最後に各ヒロインの位置付けです。はっきり申し上げて本筋には、関係がありません。ですので必要性はないと思いがちです。また『CLANNAD』のように街と人々の想いを、光の玉に凝縮していくような設定がなく統一性がありません。サブライターが思い思いに勝手に書いているのを否定できません。ですが「夢の世界」を構築したメンバーの「ご褒美」としてあっても良いかなと考えています。

 最後に一言。男性陣の皆様



おまえ等最高だぜ!