日常


 初心者の頃、『Kanon』『AIR』、そして『君が望む永遠』をやり終えてこう感じたものです。「前者は人の綺麗な所を見せるの対し、後者は人の汚い所をわざと見せて感動させる」普通の感動物はできるだけ、人の良い部分だけを見せて、悪い部分を見せるとしてもエッセンス的に見せるだけ。君望は、人の汚さ、脆さ、狂気性を思う存分見せ付けてから、感動させようとする。それで割を食った登場人物は、結構いますね。その他にもユーザーに精神的に落とすストーリー、演出、アージュの底意地の悪さを感じますが、一方でそれらをきちんと描く事により現実性を感じ、真摯的なのかもしれません。それらの拘り、技術面も加味し職人気質なのかなと。それらを一括して「ユーザーに冷や水を浴びせ掛けるブランド」と評してます。
 当初オルタをやるつもりもありませんでした。前作にそれほど思い入れもないし、前座の学園編の方が好きでしたし・・・前作も忘れかけているのでやり直さなければならないし、色々と情報が飛び交いましたが、狂気性は想定内なのでそれほど興味も湧かないし、長いので忙しい社会人がやってられるかと思いながらスルーしてました。今年の初め頃ふと店頭で見かけて、アージュに勝負でも挑もうかと思いやり始めました。もうプレイしてから意地の張り合いで、久しぶりに睡眠時間を削って、会社、食事、風呂、睡眠以外は、プレイし続けましたwプレイ後普段なら感想などをどこかに書くのですが、いわくつきなのと長すぎて感想を書きにくいのもあるのですが、思うところがあったので明言をほとんど避けていました。
 

 ふとプレイしているうちに感じたことがありました。アージュは、平和な日常描いてから落として話が展開するストーリーがほとんどです。ユーザーに格差を感じさせ、精神的ダメージを与える。まぁ、その手段は特に独自性というものではないです。日常を手段としてだけでなく、根底に「日常の脆さ」を意識してるのでは思いました。特に主張してるものではなく、今後もしないでしょう。いまさらな内容ですし・・・ただプレイしているうちに何か妙に印象に残りました。
 毎年交通事故で亡くなる方は一万人弱です。強引な計算していけば一万二千分の一、重傷者、その加害者をその十倍として千二百分の一、家族、親戚、恋人、友人、知人、同僚が遭うとすれば・・・そう馬鹿に出来ない確立ですね。実際私自身も伯母が亡くなり、叔父が重症になりました。急病、急死なんてこともある。離婚、退職とかも今は馬鹿に出来ませんね。恋人、知人との別れとかもあります。人はいずれ死ぬのだから、歳を重ねればその場面は多くなり、自分自身が遭遇する確立も高くなる。まぁ悪いことばかりでなく、良い変化もありますが・・・
 今生活している日常が決して普遍なものではない。微妙なバランスで成り立っているかもしれない。ほんの些細な事で破綻するかもしれない。それを知っていながら知らないふりをする。だから保険とかに入るのですがwその未来に捕らわれて杞憂するのは馬鹿らしいので、危機管理をして、もし何か遭った時には取り乱さず覚悟すること。もし何か遭った時こそ、その人の本性がでますので。今ある現在を充実させること。一期一会まぁ当たり前のことですがw
 アージュがどこまで「日常の脆さ」を考えているのか知りませんし、ただの私の深読みなだけだったりwまぁ人生何が起きるか解らないし、せっかくの人生楽しまなければ損ですねww