大人の階段登る、君はまだシンデレラさ

 そういえばほとんど『僕と、僕らの夏』についてあまり発言していませんでした。それはこの話の内容そのものが非常に地味であり、他人に語ることなく自分で消化してしまい語ることがないのが原因です。正式な感想は後日書きますが、簡単に・・・構成と心理描写に秀でていた作品、純愛ゲームの定石をことこどく外した純愛ゲーム。構成は同じストーリーを数回繰り返すことにより、物語を俯瞰的にかつ多角的に描くことになります。
 普通他のヒロインのシナリオにいけば、他のヒロインは途中退場するか脇役に甘んじます。これは異なります。最初は主人公とメインヒロインの視点を交互に描き、登場人物の掘り下げを行います。これは他のヒロインでも同じく、メインヒロインの視点は続きます。つまり恋に破れたヒロインを丹念に描き続けることになります。また終わり方もヒロインと仲良くは、この作品通じてメインヒロインの1つだけのみ。他は恋人関係ではないヒロインとの別れで終わります。別名○○失恋エンドと呼ばれる所以です。
 

 そして3人のヒロインを終えると、一貫として脇役に甘んじていたヒロインの冬子さん視点になり、彼女の目を通じて追体験することになります。この時彼女はこういう意図でいたのかとおもうこともしばしば。その描写が非常に生々しい。プレイすると気付くことになりますが、主人公は冬子さんだったのです。話に傍観者として思い、少し介入する。表シナリオである2人の話は、全て複線であり、プレイヤーと冬子さんがシンクロさせる構造になっています。それは良い感情も悪い感情も内包した人のかたちそのものです。
 また完全版では、有夏からメインの貴理に乗り換えるシナリオと脇役に演じていた有夏と秀輝の視点が追加されてます。これはキーマンであった2人の心情を知ることになり物語に深みを増します。なんと追加されたテキスト量は倍以上に膨らみます。
 

 恭生と貴理の大人になりたくない無意識の行動。貴理が恭生に取られるの妨害しようとする有夏。不自然な形となり彼らを羨望と嫉妬の眼差しでみる冬子さん。過去の過ちにとらわれて舞台に上がらず脇役として重要な働きを行う秀輝。それを眺める恭生のホームスティおじいさん、冬子さんを諭す旅館のおばさん、恭生と貴理の過去の象徴であり純粋さゆえに冬子さんに少なからず影響を与える有夏の弟の和典と恵。主要な登場人物5人が影響を与え与えられ、それぞれの思惑で複雑に絡み合い、最後にはそれぞれが傷つきながらも重要なことに気付き成長していきます。
 この作品のキャッチフレーズである


『僕たちは、本当の恋を、まだ、誰も知らない』


はあまりにもこの作品に合っているものです。


 冬子さんか秀輝にどれだけ感情移入できるかが、この作品の評価のポイントです。しなければただ意味不明の裏シナリオと雰囲気ゲーなだけでしょう。ではどんな人間が感情移入できるかというと、大人になっても子供にいたいと願う人、自分の黒い感情を理解していて目を背かない人間でしょう。


 非常に地味な作品です。表面的な感動はありえないでしょう。作品中にふと紛れ込むテキストや台詞が、じわじわと心に残るそんな感動を味合うことができれば、とても印象深い作品になるだろうと思います。 どこまでも懐かしく、純粋で美しい物語でした。