ひとのかたち その4

 『こなたよりかなたまで』病院組ED「ゲームの達人」クリア。やっぱり良いですね。このストーリーは!
 では臨床心理学編です。

 元々心理学には興味があり、進学も視野に入れていました。大学に入りフロイトの『夢判断』なども読みました。しかし、何となく断定的でどうも自分には合わないのかなと思っていた頃です。
 梅原氏の京都学派の関連で読み始めました。最初は良く解らないというのが本当のところでした。しかしながら次第にその考えに共感を覚えていきました。外向的、内向的という普段とは異なる使われて、興味対象が客観的な実社会の外界に向かうのが前者。後者は自分の心の内界に向かうかが違いです。またユング心理学から有名になった自己実現やコンプレックスの言葉も本来の意味から異なっていってしまいました。
 一番しっくりいったのが「無意識の相補性」についてです。例えば外向的な人間は、普段は一般社会と調和を取れた生活を送ってます。ただ、無意識下では反対の内向的な性格も併せ持ち、それで調和されてます。ただ内向的な部分は未発達のままで上手く制御できません。普段積極的な性格で周りとも上手くいっているのに、何かの拍子で関係が悪化するとヒステリーになることがあります。それは自己中心的な内向的な性格の未発達で起こる現象です。普段周りに気を使い自己中心的でない人間の無意識的な行動なのです。このように普段使わない反対の機能を無意識的な行動で補完して、調和をはかっているそのような考えに納得が行きました。
 それと「自分の世界」を大事にしてるのも好きな所です。人にはそれぞれ独自の「世界」がある。その中には客観的には解らないことも多い。でもその人にとっては、現実であってそれこそ大事なことでもあります。目に見えること、客観的に見えないことこそ治療者を含め一般の人間にも大切なことではないかと思います。
 ユング心理学はかなり難解で誤解し易いものであります。でも「ユング心理学を批判するものはそれを知らないものばかり、理解すればユンギアンになる」と言われるほど懐の深く、深遠なものだと思います。

 稀代の奇書と呼ぶのに相応しい物でしょう。自伝とは言えば自分の人生を客観的に描いたものですが、そんな物を想像していれば面食らうのは確実です。これに書かれているものは、ユングの歩んだ内界の軌跡であって、ほとんど客観的な業績のことなど書いてません。彼は、当初自伝の著作を拒び、人生の最終局面で語り出しました。そして完成した時にがまるで待っていたように、終わったように亡くなりました。彼の自身の意志の通り彼の死後に発表されました。
 内容は、難解だが妙に心に染みます。彼の文章は独特で無意識に語りかけてくれます。言うなれば麻薬のような存在。ただ人生で悩んでいる物にとっては一筋の光明にも見えることでしょう。私も魅せられた1人です。少々ながら彼の文章に触れて下さい。


「多分、私は他の人よりもはるかに、人々を必要とし、同時に必要としていない。


 私は自分の命がたどった流れに満足している。それは、恵み深いものであり、多くのものを与えてくれた。それほど多くのことをどうして期待しえたであろう。全く思いがけないことが、私に対して起こり続けた。私が異なった人間であれば、多くのことが異なっていたであろう。しかし、それはあるべくしてあった。つまり、私が私であるために、すべてのことが生じたのであろう。


 確たる自信は何もない−−−実際何についても自信がない。私が自分が生まれ、存在したことのみを知っている。そして私は持ち運ばれてきたかのような気がする。私は自分の知らない何ものかの基礎の上に存在している。


 われわれの生まれてきた世界は、無慈悲で残酷である。そして同時に、神聖な美しさを持っている。


 生きることは意味があり、そして意味がない。私は意味が優勢になり戦いに勝つことを切望している。」


さて有馬記念の検討でもしましょうか・・・