ひとのかたち その2

 「人は一人でも生きていけるけど それだと、生きていくことしかできないんだなって」(『家族計画』より)

 人は人と出会いを積み重ねる。あるいは友達としてだったり、あるいは上司だったり、あるいは恋人だったり・・・そのような人との出会いを繰り返し自分の「こころのかたち」が序々に形成しまた変遷していく。それは何も人だけでなく印象的な出来事だったり、書籍等の物のような場合もあります。
 このシリーズではそのような大きな出会いを書籍を中心に行こうと思います。あくまでも切欠になったもので、自分が影響を受けた(切欠だから影響は受けていることは否定できないが)、自分が好きな物とは限らないのであしからず。

  • 学研

 人生両親の影響は大きいものであります。それが善悪をなしにしても・・・特に幼いほど両親の影響は大きいものです。まず大抵の人は最初に、両親という人と接することになります。幼児期の世界は、大人の世界とは比較にならないほど狭い。大人は様々な人を接するが、子供は接する大人と言えば、両親と教師を中心とした非常に狭まれた世界。
 今幼児虐待や教育が社会問題化してますが、その要因に核家族で地域社会の希薄化が挙げられることでしょう。今まで祖父母や地域社会で、補っていた教育やストレスを両親あるいはそれに類する人間に全てを抱え込んでしまう。昔は悪く言えば適当に過ごすことができましたが、これからは親自体も自分自身の考えや哲学を持ち、子供に対する覚悟がないと難しい時代になりました。自分もいずれは家庭を持ち子供が欲しいので心しておかないと駄目ですね。
 
 私の両親とも性格は正反対と言えるほど異なりますが、自分なりの哲学というと大げさですが自分の考えを持っている人間です。まぁ、だからころ自分がこのようなことをすらすら書けるのでしょうねw両親は、茶碗の持ち方や家にお客さんが来たら例え知らない人間でも挨拶、外で知り合いに会ったら挨拶、人に物を頂いたらお礼と言うなどを社会的に当然のことを厳しく躾られました。また小3までは8時に寝かされ、勉強に必要のないもの以外のおもちゃは買い与えられませんでした。
 ただそれ以外のこと。勉強をしろとか習い事は完全に自主性に任されてました。ですので1度も両親は勉強をしろとは1度も言いませんでした。私がそれなりの成績を取っていたのもあるのでしょうが・・・結局習い事や塾等を行かずに過ごしました。妹は何がしたいとやってはいましたが、私は基本的にあまり人に教わるのが嫌いで自分で開拓するのが価値があると子供ながら思っていましたので・・・
 両親は、勉強だけできる人間には社会的に役に立たない。社会にまみれ様々なことを学んでいく方が、価値があると考えていたようです。ただ、勉強をできることに悪い事ではない。その環境を整える為に学研の学習シリーズを揃えたようです。国語辞典、漢和辞典、地名辞典、百科事典に自由研究に使うような雑学的な自由研究の巻、それに小3ぐらいの学習内容が書いてある辞典。
 
 私の子供時代友達とも遊んでましたが、1人遊びが好きな子供でした。1人で家の周囲を冒険したり、粘土遊び、ブロック遊びをしたり、自分でルールを作り自分でゲームをつくったりとかなり空想的な子供でした。そんな時、ふと気になって学研のを読みました。歴史に偶然地元の川越の成り立ちがあって、それを切欠に他の所も読んでみるかと思い僅か小2で歴史に詳しくなりました。その他にも色んな分野を読んで見聞を広めていました。地名辞典を読んでは、様々な所に旅行に行った気になったり、百科事典を普通に読んだり、調べまくったりしていました。序々に要らなくなった物を捨てていまは、名残として本棚があるだけです。今思えば遊びとして勉強していましたね。何か解からない事があるとすぐ調べる習慣などはその時培ったものですね。色んな思い出があり本当に思い入れがあります。将来子供が出来た時には、強制せず両親と同じように環境だけは整えておこうと考えています。