法学士としての良心として

昭和天皇A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060720it06.htm

 政治的な配慮として納得できますが、論理的には破綻しています。
A級戦犯の中には、死刑を免れて勲章まで貰う人がいます。それなのに死刑され遺体を「焼却処分」されまでされた遺族に、靖国に祀るなと言われると感情的に無理だろうし、遺族側に理があります。
 そもそも大学で法学部で法律学を学んだ人間としては、東京裁判を否定せざるえません。法律学の根底で法律が施行される前に、行為が例え違法性があったとしても裁いてはならないと最大の原則(法の不遡及)があり、罪刑法定主義を逸脱したものだからです。それは塑逆法・事後立法を許せば法治国家としての体裁を失うからです。
 A級戦犯罪状は「平和ニ対スル罪」という、今まで存在しなかった罪で裁かれています。法律学上絶対してはいけない原理原則を捻じ曲げて遂行されています。その他裁判を執行する公平性にも欠けています。裁判官は、インドのパール判事を除き戦勝国に占められ、証人のすべてに偽証罪を問わなかっという通常の裁判では考えられない誤りを犯してます。つまり証人は、嘘八百を並べても、全く問題なく責任を取られません。東京大空襲原子爆弾の使用など連合国軍の行為は対象とされず、これでは裁判の不公平を問われてもおかしくありません。
 それに、具体的に

>審理では、日本側から提出された3千件を超える弁護資料(当時の日本政府・軍部・外務省の公式声明等を含む)がほぼ却下されたのにもかかわらず、検察の資料は伝聞のものでも採用するという不透明な点があった。(東京裁判資料刊行会)

>上記に反論―検察側の提出した証拠と弁護側の提出した証拠のうち、却下されたものも採用されたものはほぼ同数であり、起訴された人が審理において格別不利に扱いを受けたというわけではない。

>インドのヒンドゥー教法哲学の専門家ラダ・ビノード・パール判事は、判決に際して日本無罪論を発表し、「この裁判では、有罪とすることができない」と語ったことで知られている。ただし、この意見は“日本を裁くなら連合国も同等に裁かれるべし”あるいは“連合国を裁かないなら日本も裁かれるべきでない”というものであり裁判の公平性を訴えるものである。1952年の来日時にパール博士は以下のように表明した。『東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ』

>判事(裁判官)については、中華民国から派遣された梅汝敖判事が自国において裁判官の職を持つ者ではなかったこと、ソビエト連邦のI・M・ザリヤノフ判事とフランスのアンリー・ベルナール判事が法廷の公用語(日本語と英語)を使用できなかったことなどから、この裁判の判事の人選が適格だったかどうかを疑問視する声が特に裁判の対象となった日本を中心として存在しているなどなど

 実際当時から戦勝国東京裁判に疑問を持つ声が聞かれ、ロンドンタイムズなどは、2か月にわたって極東国際軍事裁判に関する議論を掲載した。なお陣頭指揮にあたったダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官は、後にトルーマン大統領と会談した際に、「東京裁判は平和のため何ら役に立たなかった」と述べたといわれる。また、マッカーサーは、1951年(昭和26年)5月3日に開かれたアメリカ合衆国連邦議会上院の軍事外交合同委員会において、「戦争に向かっていく理由は、主として安全保障上からの要請であった。」と日本の自衛的側面を認めている。

 サンフランシスコ平和条約の第11条においては、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。」と定められているが東京裁判を肯定する文言ではなく諸判決の執行を追認する内容になっています。

 このように法学的には、否定せざるえません。また政治的にも、この先例を残せば連合国がもし何かの戦争に負ければ、同じ道を歩むことになりかねません。ですので今イラクではフセイン前大統領を裁く裁判は、体裁上だけでも自国の裁判として運営されているわけです。
 また、アメリカはイラク戦争イラク情勢の悪化よりも酷い先例を作ってしまいましたが、これは別の話。