コミニティ化

 もはや死語となってますが国民的人気という単語がありますね。アイドルといえば山口百恵、お笑いといえばドリフ、スポーツといえば巨人、歌といえば泳げタイヤキくん、競馬といえばオグリキャップ。当時街に通りかかる老若男女に名前を出せば十中八九知っていると答えると思います。しかし最近のNO.1を言っても半分も答えられるか?国民的な人気に値するものがないだけか?それを受け入れる土壌がないだけか?私は後者だと考えています。

 
 このような現象を多様化した言いますが、早計かなと考えています。昔だってマイナーなものはありました。ただ人気が一本被りになっていたと思います。愛好者は当然のように限られていますので、その他大勢が人気を支持していたことになります。昔と現在では、世代(年齢層だけでなく趣味趣向等)を越えた人気を、広く獲得していたことになります。つまり今では世代間の断絶が存在することになります。

 
 昔私の年齢層がギリギリかと思いますが、居間にテレビが1つでそれを家族全員で見ていた。当然家族揃って1つの番組を見ざるえない。そのようになれば当然のように、世代を越えた人気を獲得するものを現れることもある。だが小中と進学する頃には、個別の部屋にテレビがあることが当然になる。なんだかんだ言ってテレビが手軽で簡単な娯楽で情報源だった。個別に見ていればそのような家族との共有が少なくなるのが当然。家族団欒の機会が減り、個食化が進みさらにそれを拍車を掛ける。

 インターネットは、当初世界と繋がれるもてはやされましたが、あくまでも個人と個人。集団になることはありますが、あくまでも共通の趣味話題のある同士のコミュニケーションが主流。ネット発の口コミでブームになることはあって、他のメディアに取り上げられることはあるが、そこで既に世代の断絶が存在する。ネットはコミニティ化を一層進めたことになる。

 
 あと個人の考えも変わったことも大きいでしょうね。まだブームに乗り遅れるなと意識は多分に存在しますが、「自分は自分。他人は他人。気の合った人と自分が好きな時間に付き合おう。」という考えが濃厚に表れているんではと思う次第。まだ国際試合のスポーツにはまだありますが、それももはや必要性が薄れているのではないでしょうか。