新年早々長文かよw

 リハビリついでに『天使憑きの少女』クライマックスの4章からリプレイ。まだ新しい物をやる気はしませんね。1月末にlightから『潮風の消えた海に』が出ますから、それで様子見です。ライターの早狩武志さんは、『僕と、僕らの夏』『群青の空を越えて』を書いてます。人間味の溢れるシナリオで自分と合ってますし、短編のようなので今の自分にはぴったりです。ストーリーをチラッと読みましたが、地味だけど好きな感じです。
 
 話を戻して天使憑きについて、テーマの1つに「愛」があります。以前、例えで出したかもしれませんが、『TALK to TALK』で「恋」は人を対象にしているが、「愛」はものや形のないものにも対象にしてる。言いえて妙なことだと思います。どちらかが高尚とかそのような問題ではなく、「恋」は基本的に異性に向けられる。対して「愛」を対象とするものは広い。劇中でいくつかの「愛」を描いていました。そこが無数にあるエロゲーとの異なる点ですね。
 本作はキリスト教の影響を受けてます。私はそれについて一般的な素養しかありませんが、一番大切な物は何かといえば「愛」と答えるでしょう。ただキリスト教の説く「愛」と私たち平均的な日本人が抱いてる「慈愛」というもの間に、どれだけ隔たりがあるかは解りません。キリスト教説くものはあくまでも人に対してもので、それは「カエサルのものはカエサルに」とキリストが説いたように異教徒にも本来は含まれるものでしょう。日本では本来釈迦は悟りを開いた者に限られた哲学的なものであるし、むしろ「愛」というものを否定してます。ただ「愛」は執着的なものに否定しているのに過ぎず、「慈愛」は否定しているかは微妙かなと思います。
 悪く言えばエリート主義な上座部仏教に対抗して、救えるものを広げて行こうとする大乗仏教が興隆しました。それが現世肯定が強い中国を経て、日本に渡ってさらに広がることになります。「山川草木国土皆成仏」と従来救われないと言われた女人よりも遥か動物を経て、植物どころか無機物のようなものすら成仏するとトンデモ思想になります。これには古来の神道アニミズムの影響を大きく影響されており、今でも大きく日本人の深層に影響を与えています。
 何かに「感謝」することにおいては、創造主によって人間が作られ全ての物が人間の為に作られたとするキリスト教、全てを同列に扱う日本では、どうしても後者の方が強く意識しなければらないので前者の方が強いのでしょう。環境問題に一番熱心なのが欧州なのもアメリカに、追い越されどこか反省せざるえない気持ちがあり、どこか文明に限界を感じている危機感があるからでしょう。また文明の発祥の地のギリシャの山々が皆はげ山であることや、環境を人間によってコントロールしようとするキリスト教の影響を少なからず存在していると思います。
 
 天使憑きであえてネタバレを言えば臓器移植の件がメインになります。昨年事件になったように日本は、臓器移植に関して遅れているとしか言えません。暮れに臓器売買に関する判決が出ました。判決は被告に同情するような判決で、臓器移植を円滑に促すことを願うものでした。劇中で移植に躊躇う医者の姿が描かれていましたが、それが人間では自然な感情でしょう。何せまだ元気に動いている臓器を取り除き、その人を物理的に殺すことですから。医者としては脳死を死とみて臓器を「もの」として取り扱わない限りやっていけないでしょう。
 ですが脳死を「死」とするものには躊躇する思いがあります。頭では解っていても、感情論ではまだ暖かく心臓も動いている状態ではいつか目を覚ますのではと考えてしまうのは仕方がないこと。「もの」として扱うことも無理でしょう。移植した臓器には、本体から異物と感じ排除しようとします。移植した患者の多くは、その免疫を抑える薬を一生飲み続けなければなりません。それは臓器は、機械の部品のように簡単に取り替えるものでないことを叙実に訴えています。最近臓器移植した方の手記を読みました。私はどうせお涙頂戴もので、話半分に読んでいたのですが、その方はその方なりの考えを持ち読み応えのあるものでした。移植をした日つまりドナーが亡くなった月命日にお線香を上げたり、移植した臓器を別の「いのち」ととらえていました。それがレシピエント(移植を受ける人)の偽らずな気持ちなのでしょう。
 今臓器移植の範囲を当人の意思から、家族の同意に拡大しようとする意見があります。私にはそれには賛同できません。実際問題として拡大すれば、救える命は格段に多くなることでしょう。ですが亡くなった尊厳は、生きた者として最大限に尊重すべきであるでしょう。もし、家族の同意で移植をしたとして当の亡くなった本人が拒否していたら、それは命に対する冒涜になるでしょう。そんな思いを無碍にして、臓器を「もの」として扱うことに違和感を感じます。中国では死刑囚をドナーにしているそうで・・・それにドナー当人の意志によるものでは、歯止めが効かなくなる危険性があります。もし、家族了承にするなら、ドナーカードを全国民に配り、携帯を義務付けた方が良いと思います。死後に提供するかしないかを選択する自由ぐらい奪うのは心苦しいものがあります。移植を待つ者や関係者にとって、特に幼い患者にとっては酷かもしれませんが、譲れないものがあります。勿論ドナーを増やす啓蒙活動したり、移植をテーマにしたドラマなどを暗部も入れて放映したりするなども今以上に必要なのでしょう。またドナーに何らかのメリットも与えるのも、1つの道なのかもしれません。・・・まぁ難しい問題ですわ・・・